営業の提案スキルを育てる研修は、話し方の練習より先に「聞く・調べる・組み立てる・書く・確かめる」という手順を決め、法令で禁じられている言い方を最初に教える形で組むと、担当者による差を小さくしやすくなります。宅地建物取引業法31条の2は、宅建業者に対し、従業者が業務を適正に行えるよう必要な教育を行う努力義務を定めています。この記事では、中小の不動産会社が社内で回せる研修の組み立て方を、条文と手順の例で整理します。研修の効果を数字で示すものではなく、考え方と進め方を示します。
営業の提案スキルを分けて考える
提案がうまいと言われる営業担当者がしていることは、話し方だけではありません。相手の事情を聞き、物件や費用を調べ、候補を比べて理由を説明し、書面にして渡し、言い過ぎや誤りがないかを確かめています。研修では、この流れを5つの段階に分け、段階ごとに練習の材料を用意します。まとめて「提案力」と呼ぶと、何ができていないのかが本人にも教える側にも分かりにくくなるためです。
| 段階 | 身につけること | 練習の材料 |
|---|---|---|
| 聞く | 条件、事情、誰が決めるか、いつまでに決めたいかを聞き出し、要約して確かめる | ヒアリングシート、ロールプレイ |
| 調べる | 物件の情報、法令上の制限、費用、契約条件を資料で確かめる | 募集図面、登記事項、重要事項説明書の項目 |
| 組み立てる | 候補を比べ、選んだ理由と不利な点を整理する | 過去の問合せを匿名にした練習問題 |
| 書く | 提案書や連絡文にまとめる | 提案書の型、先輩による添削 |
| 確かめる | 事実と違う表現、断定、伝え漏れがないかを見直す | 禁止事項の一覧、渡す前の確認表 |
どの段階が弱いかは人によって違います。聞くことは得意でも書面にすると要点がぼやける人もいれば、資料を調べるのは丁寧でも相手の事情を聞き出せない人もいます。段階ごとに確かめられるようにしておくと、研修の中身を人に合わせて変えられます。
研修の根拠になる法令
宅建業法31条の2は「宅地建物取引業者は、その従業者に対し、その業務を適正に実施させるため、必要な教育を行うよう努めなければならない」と定めています。国土交通省の「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」は、この条について、従業者を登録講習をはじめ各種研修等に参加させ、または研修等を開くことにより、必要な教育を行うよう努めるものとしています。外部の研修に参加させる方法と、社内で研修を開く方法のどちらも想定されています。
あわせて、次の条文も研修の目的を考えるときの土台になります。
- 宅建業法31条1項:宅建業者は、取引の関係者に対し、信義を旨とし、誠実にその業務を行わなければならない。
- 同法15条:宅地建物取引士は、取引の専門家として、購入者等の利益の保護と円滑な流通に資するよう、公正かつ誠実に事務を行う。
- 同法15条の3:宅地建物取引士は、取引に係る事務に必要な知識及び能力の維持向上に努めなければならない。
教育そのものは努力義務ですが、勧誘の場で禁じられている行為をすれば法令違反になります。研修の最初に禁止事項を教えるのはこのためです。提案の工夫は人によって違ってかまいませんが、禁止事項は全員が同じ理解でいる必要があります。
最初に教える禁止事項
提案の場で起きやすい言い過ぎを、条文と並べて教えます。言い換えの例も一緒に示すと、現場で使える知識になります。
| 禁じられている行為 | 根拠 | 避ける言い方の例 | 言い換えの例 |
|---|---|---|---|
| 重要事項説明の項目や、所在・環境・取引条件など相手の判断に重要な影響を及ぼす事項について、故意に事実を告げない、または事実でないことを告げる | 宅建業法47条1号 | 知っている不具合を聞かれて「問題ありません」と答える | 「不具合の報告があります。内容を確認してお知らせします」 |
| 利益を生ずることが確実であると誤解させるべき断定的判断を示す | 同法47条の2第1項 | 「この物件なら確実に利益が出ます」 | 「この前提なら収支はこうなります。空室や修繕で変わります」 |
| 将来の環境や交通の利便について、誤解させるべき断定的判断を示す | 同法施行規則16条の11第1号イ | 「近くに駅ができるので便利になります」 | 「計画は公表されていますが、時期や内容は変わることがあります」 |
| 正当な理由なく、契約するかどうかを判断するのに必要な時間を与えない | 同号ロ | 「今日決めないとほかの方に決まります」 | 「ほかにも検討中の方がいます。ご判断に必要な資料をそろえます」 |
| 勧誘に先立って、商号、勧誘をする者の氏名、勧誘の目的を告げずに勧誘する | 同号ハ | 用件を言わずに電話で物件を勧める | 「〇〇不動産の△△です。売却のご相談の件でお電話しました」 |
| 契約しないと言われた後も勧誘を続ける | 同号ニ | 断られた後に何度も電話する | 断られたことを記録し、連絡を止める |
| 迷惑を覚えさせるような時間に電話や訪問をする。深夜や長時間の勧誘などで困惑させる | 同号ホ・ヘ | 夜遅くの電話、終わりの見えない長い説明 | 連絡してよい時間帯を最初に聞き、記録しておく |
消費者契約法もあわせて教えます。同法4条は、事業者が勧誘の際に、重要事項について事実と異なることを告げたり(1項1号)、将来の価額など変動が不確実な事項について断定的判断を示したり(同項2号)して、消費者が誤認して契約の申込みや承諾をしたときは、消費者がその意思表示を取り消せると定めています。有利なことだけを告げ、不利益となる事実を故意または重大な過失で告げなかった場合も、取消しの対象になります(同条2項)。帰ってほしいと言われても退去しない、帰りたいと言われても帰さないといった行為も、取消しの理由になります(同条3項1号・2号)。
ここでいう「消費者」は、事業としてまたは事業のために契約の当事者となる場合を除く個人です(同法2条1項)。取消権は、追認をすることができる時から1年間行わないとき、または契約の締結の時から5年を経過したときに、時効によって消えます(同法7条1項。一部の類型は期間が異なります)。契約が済んだ後でも取り消されることがある、という点を具体的に教えておきます。
研修の流れの例
ここで示すのは筆者が考える手順の例です。期間は会社の規模や担当する業務(賃貸の仲介、売買の仲介、管理の受託など)で変わるため、日数ではなく「次の段階に進む条件」で区切ります。入社直後の受け入れ方は新人スタッフの受け入れと最初の30日でも整理しています。
第1段階 法令と社内のルールを学ぶ
前の章の禁止事項に加えて、取引態様の明示(宅建業法34条。広告をするときと、注文を受けたときに、自社が当事者か、代理か、媒介かを明らかにする)、秘密を守る義務(同法45条。業務上知り得た秘密を正当な理由なく漏らさない。宅建業をやめた後も同じ)を学びます。次に進む条件は、一覧を見ずに、場面ごとに何がいけないのかを自分の言葉で説明できることです。
第2段階 書類を読み合わせる
重要事項説明書と契約書の項目を、先輩と一緒に読みます。宅建業法35条1項は、契約が成立するまでの間に、宅地建物取引士に、重要事項を記載した書面を交付して説明させることを求めています。営業担当者が宅建士でなくても、どの項目がお客様のどの心配に関係するかを知っていれば、内見や商談で聞かれたことに正しく答えられ、答えられないことは宅建士につなげられます。次に進む条件は、主な項目とお客様の質問を結びつけて説明できることです。
第3段階 ヒアリングを練習する
次の章で示す方法で、聞く練習をします。次に進む条件は、聞いた内容を要約して相手に返し、相手が「そのとおりです」と言える状態になることです。
第4段階 先輩の案内や商談に同行する
同行の前に見る点を決め、終わった後に振り返ります。進め方は後の章で示します。次に進む条件は、同行した案件について、先輩がなぜその候補を勧めたのかを説明できることです。
第5段階 提案書を書いて添削を受ける
実際の問合せを匿名にした練習問題、または担当する案件で提案書を書き、先輩が添削します。次に進む条件は、添削で禁止事項に当たる表現の指摘がなくなることです。
第6段階 担当を持ち、振り返る
案件を担当し、週に1回など決まった間隔で振り返ります。振り返りでは結果だけでなく、各段階の手順を守れたかを確かめます。
ヒアリングの練習
提案の質は、聞いた内容の質で決まります。聞く項目を決めておくと、担当者ごとの聞き漏れが減ります。賃貸の住まい探しなら、たとえば次の項目です。
- いまの住まいで困っていること、変えたいこと
- 月々の支払いの上限と、上限を超えても検討したい条件
- 通勤・通学の行き先と、許せる時間
- 入居したい時期と、いまの住まいの解約予告の期限
- 一緒に決める人がいるか
- 連絡してよい時間帯と方法
練習は3人1組で行います。お客様役、営業役、観察役に分かれ、観察役は「項目を聞けたか」「はい・いいえで終わる質問ばかりになっていないか」「最後に要約して確かめたか」を確認表に付けます。お客様役には、あらかじめ事情を書いたカードを渡しておき、営業役が聞き出せたかどうかを後で答え合わせします。役を入れ替えて繰り返すと、お客様の立場で感じたことも学べます。
聞いた内容は、業務に必要な範囲で記録します。家族の事情や勤務先など、聞いた話を別のお客様との会話で話題にしないことも、宅建業法45条とあわせて教えておきます。
提案の組み立てと書面にする練習
提案を組み立てるときの型を1つ決め、全員がその順番で考えるようにします。型の例は次のとおりです。
- お客様の条件の要約(聞いた内容を相手の言葉で書く)
- 候補(物件や方法)
- それぞれを選んだ理由(条件のどれに合うか)
- 不利な点や気をつける点
- 費用の内訳
- 次の手順と期限
研修で特に練習したいのは4番目です。不利な点を書くことに抵抗がある担当者は少なくありません。しかし、消費者契約法4条2項が定めるとおり、有利なことだけを告げて不利益な事実を故意または重大な過失で告げないことは、取消しの理由になります。先に不利な点を示し、そのうえで選んだ理由を説明するほうが、お客様は判断しやすくなります。提案書の型は提案資料のテンプレートの作り方で詳しく整理しています。
練習の材料には、実際の物件資料を使うと現場に近づきます。ウルスタくんの募集図面(マイソク)や顧客管理の記録を教材にする場合も、お客様の氏名や連絡先は消した状態で使います。
ロールプレイと同行の使い方
ロールプレイは場面を決めて行う
「自由に商談してみて」という形のロールプレイは、何を練習しているのかがぼやけがちです。「予算を超える物件を気に入ったお客様」「その場で決めるよう家族にせかされているお客様」「断りの返事をしたお客様にもう一度連絡する場面」のように、場面を1つに絞ります。法令に触れやすい場面(即決を迫りたくなる場面、断られた後の場面)を入れておくと、禁止事項を体で覚えられます。
同行は前後の会話が本番
同行では、出発前に「今日はお客様の条件の聞き方を見てほしい」のように見る点を1つか2つ伝えます。終わった後は、先輩がなぜその候補を勧めたのか、なぜその順番で見せたのかを話します。現場では説明が省かれる判断の理由を、言葉にして渡すことが同行の目的です。
振り返りの問い
- お客様の条件を、相手が納得する形で要約できたか
- 候補を選んだ理由を、条件と結びつけて説明できたか
- 不利な点を先に示せたか
- 断定や即決を迫る言い方をしなかったか
- 次の連絡の日と方法を決めたか
上達の確かめ方
研修の成果を成約の件数だけで見ると、担当した物件や時期、反響の量の影響が混ざり、本人の上達が分かりにくくなります。そこで、決めた手順をどれだけ実行できたかを確認表で見ます。
仮の数字で計算例を示します。確認表の項目が10あり、ある担当者の案件を1件確かめたところ、7項目が実行されていたとします。
- 手順の実行率=実行できた項目数÷確かめた項目数
- 7÷10=0.7、つまり70%
この値を人と比べるより、同じ人の前月と比べ、実行できなかった項目を次の練習の題材にします。1件だけでは偶然の影響が大きいため、毎月数件を確かめ、項目ごとにできた・できなかったを見ます。月に1回の点検の進め方は営業プロセス監査を月1回行う方法で整理しています。
オーナーへの提案を教えるとき
賃料の見直しや売却、修繕などをオーナーに提案する場面でも、考え方は同じです。根拠となる資料(近隣の募集事例、修繕の見積りなど)を示し、結論を幅で示し、前提が変わると結果が変わることを書きます。売買の媒介など宅建業の取引にかかわる提案では、宅建業法47条の2第1項の断定的判断の禁止が当てはまります。収支の見通しを示すときは、空室や金利、修繕費の前提を明記し、「確実」「間違いない」といった言葉を使わないよう教えます。
オーナーが事業として賃貸経営をしている場合、消費者契約法の「消費者」に当たらないことがあります。ただし、宅建業法31条1項の信義誠実の原則はどの相手にも当てはまります。相手によって説明の水準を変えないことを、研修の中で確認しておきます。
このテーマの全体像は「不動産の業務効率化ガイド2026|5段階の進め方と法令チェックポイント・関連記事一覧」にまとめています。
よくある質問
Q1. 研修は外部に任せるべきですか、社内で行うべきですか。
国土交通省の「解釈・運用の考え方」は、各種研修等に参加させる方法と、研修等を開く方法の両方を挙げています。法令や一般的な知識は外部の研修、自社の物件や書類の扱い、ヒアリングの項目など会社ごとに違う部分は社内研修、という分け方が考えられます。
Q2. ロールプレイだけで提案スキルは育ちますか。
ロールプレイは聞く・話す練習には向いていますが、調べる・書く・確かめる段階は別の練習が必要です。提案書の添削や、実際の資料を使った練習を組み合わせます。
Q3. 経験のある担当者にも研修は必要ですか。
宅建業法15条の3は、宅地建物取引士に知識及び能力の維持向上に努めることを求めています。法令の改正や書式の変更があったときに、経験者も含めて読み合わせる時間を設けると、社内の理解をそろえられます。
Q4. 研修の記録は残すべきですか。
研修の記録の様式は法令で決まっているわけではありません。ただ、誰がいつ何を学んだかを残しておくと、次に何を教えるかを決めやすくなり、担当者が替わったときの引き継ぎにも使えます。
出典(本文で参照している資料)
- e-Gov法令検索「宅地建物取引業法」(第15条・第15条の3・第31条・第31条の2・第34条・第35条・第45条・第47条・第47条の2)
- e-Gov法令検索「宅地建物取引業法施行規則」(第16条の11)
- e-Gov法令検索「消費者契約法」(第2条・第4条・第7条)
- 国土交通省「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」(令和8年4月1日施行版、第31条の2関係)
この記事は2026年10月7日時点の情報です。